2005年2月、妹の結婚式へ向かうバスの中、隣に座っていた総務担当の叔母が私にこう言いました。

「後継者として、東京にいる息子なら認めてあげる、、と言われている、、、」

当時、東京でシステムエンジニアとして働いており、会社は私の兄貴の一人が継ぐものだと思っておりました。
会社を継ぐ予定だった兄貴は会社の債務超過や組織体制の問題などが原因で会社を辞めてしまい、会社の継承者が宙ぶらりんの状態でした。

浜松で何か会社を興したいと思っていた私は、会社を興すのも、課題だらけの会社を引き継ぐのも同じだと考え、後継者の指名に即答しました。

2005年5月、東京の会社を辞めました。翌月、ラッキーコール産業に入社しました。
2005年10月、社長に任命されました。経験がないまま会社のトップとなり、そして人生が大きく変わり始めました。




あれから5年の年月が過ぎました。
畑違いで内容の全くことなる業務をこなせるか心配されましたが、社員、取引先、仕入れ先のご支援に恵まれ、何とか会社の建て直しを進めることができました。

我々の製造するシェル中子は、内燃機関、フレーム等の構造の内部形状をつくる使い捨ての砂型です。
このシェル中子は、内燃機関の出力特性、耐久性に直結し、オートバイの安全性にも影響をあたえる重要な要素を担っています。

田舎の小さな町工場ですが、作っている製品が世界のヤマハ発動機様の重要な基幹部品であることを誇りに持ち、日々最高の製品を作るべく、従業員一同が結束し、品質の向上、生産効率の改善活動に取り組んでおります。
社長業3年目にして、ようやく、私の望む組織体が芽生え、現在ではさらなる飛躍を狙える体制に向けと着々と進化を続けております。

2008年秋、突然襲った世界同時不況で発注量が激減。ひどい月では通常の2割まで減少しました。これを機に、今までできなかった経営見直しを断行。目標は伸縮自在で粘り強い経営体制、生産量が半分になっても2倍になっても黒字経営を実現すること。あれから少しずつ生産量が回復してきました。そして30%程度の生産の変動であれば、なんとかやっていけるようになりました。

2010年、会社の基本方針を見直しました。

 「次世代の職人を育てる」

次世代の職人こそが我々の真の骨幹であり、これを創造し進化し続けることが今後10年、グローバル化の大波が到来している日本の製造業界を生き残る鍵であることを確信しております。

弊社の今後の展開をどうぞ見守ってください。

2010年11月11日
ラッキーコール産業有限会社
代表取締役社長 小池江幸
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